ゲデス先生の博物館の思考ルーツを辿っていくと、そこにはシェフィールドのラスキンの博物館があった。この博物館は小規模の定住コミュニティーを築くという計画の一環で、地域のクラフツマンシップの文化的伝統と水準を守り助長するために機能するものだった。ラスキンが博物館をやっていたことなんて知らなかった。博物館が地域研究の核として機能するという考え方はここにひとつの水源をもっていたように見える。結局、オトレが地域博物館の国際ネットワークを築こうとするのも、ノイラートがそれに共感を得るのも、あるいはオトレ、ノイラート、ゲデスが「社会博物館」を組織するのも、直接間接的にこの流れを汲んでいるのでは?というのは少しイージーな議論だが、「珍奇品陳列棚」でもなく、「完成された博物館=死んだ博物館=不要な博物館」でもない博物館を志向したラスキンの博物館思想は、探ってみるに値する。少し感傷的にすぎるが、ここ1年半ぐらいでさまよってきたウィリアム・モリスからノイラート、ゲデス、オトレへの旅が、巡り巡ってラスキンに至ったということに、動揺を覚えずにいられない。
まあこんなことを書いている間に論文を進めたまえ。明日が最終チェックではないか。
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