2006年12月アーカイブ
ゲデス先生の博物館の思考ルーツを辿っていくと、そこにはシェフィールドのラスキンの博物館があった。この博物館は小規模の定住コミュニティーを築くという計画の一環で、地域のクラフツマンシップの文化的伝統と水準を守り助長するために機能するものだった。ラスキンが博物館をやっていたことなんて知らなかった。博物館が地域研究の核として機能するという考え方はここにひとつの水源をもっていたように見える。結局、オトレが地域博物館の国際ネットワークを築こうとするのも、ノイラートがそれに共感を得るのも、あるいはオトレ、ノイラート、ゲデスが「社会博物館」を組織するのも、直接間接的にこの流れを汲んでいるのでは?というのは少しイージーな議論だが、「珍奇品陳列棚」でもなく、「完成された博物館=死んだ博物館=不要な博物館」でもない博物館を志向したラスキンの博物館思想は、探ってみるに値する。少し感傷的にすぎるが、ここ1年半ぐらいでさまよってきたウィリアム・モリスからノイラート、ゲデス、オトレへの旅が、巡り巡ってラスキンに至ったということに、動揺を覚えずにいられない。
まあこんなことを書いている間に論文を進めたまえ。明日が最終チェックではないか。
最近
どうにも鬱屈しているので、後ろめたさを感じながらもイーストウッドの『父親たちの星条旗』を見た。かなり前に氏が日本とアメリカ両側から硫黄島を撮るなんてことを聞いた時にはデマだろうと思った。でも本当に目の前でフィルムは流れた。もちろん良かった。『硫黄島〜』も見たいが、さすがに提出までは無理だ。
デヴィッド・ボウイばっかり聞いている。『ハンキー・ドリー』が好きだが、『ダイアモンド・ドッグス』もいい。「ヤング・アメリカン」はラース・フォン・トリアーの近作を思い出してしまうが、いい。でも、たまの『きゃべつ』も買ってみた。やっぱり『さんだる』の濃縮感は奇跡に近かったのだなと思わせるが、「満月小唄」はいい。
蓮實さんが『撮ってしまえばしめたものという映画作家の楽天的な無責任性を批評家はとても真似できない。』と書いたのを読んだが、そう言われてもやっぱり制作者はある種楽観的でないとやってられないと、最近思ってしまう。一巡した楽観性が必要かな?
パトリック・ゲデス先生にようやく敷衍できはじめてきたが、財政状況に関わらず理想を突っ走り、さっきこれをやっていたと思ったら今度はこっちをやっていて、アイデアを出しては更新し、挙句には自分のやるべき仕事を人任せにしてしまう次第で、どこかの誰か(多数)を想起しないではいられないが、この人あるいは周辺の社会×博物館の思考は非常に興味深いので、時間があったらじっくりやってみたいところ。しかしとりあえず関係部分にとどめる。
論文をついに書き始めた。予期してはいたが、書いたら書いたで不足箇所があれこれ出てきて、なかなか思うようには進まない。でもまあ、愚直にも伝記をほぼ全訳したので、オトレの行動を通史的に把握できた。あと9日ぐらいで最終チェックである。パンフ用文章に「論文と展示」と書いたので、展示にある程度は時間を割けるようにしたい。
昨日、起き抜けに蓮實氏の『批評 あるいは仮死の祭典』を読み始めて目眩を覚え、こんなものを読んでいてはいけないと意識を正して本を閉じ、まあ正確には途中で論筋がよく分からなくなったからなのだが、先週金曜に突然「土曜に提出せよ」と告げられた視デの卒制パンフ用の文章と画像を取り繕い始め、遅延を叱責するメールに「叱責されるいわれはない」と怒りをもって返答し、論文と同時並行的にデータを準備し、今日昼過ぎになんとか完成させ、生活課が閉まるギリギリの時間に奨学金関係の書類を持って学校に提出しに行き、パンフのデータを圧縮してメールし遂げた直後、今度は「全学のパンフ用の書類を明日までに提出せよ」とのメールと、「明日の朝は卒制機材関係の調整会議だ」との貼り紙に遭遇し、何なのだと思いながら前者を取り繕いながら、3日ぶりの知人との会話となるキムさんやイさんとの談話を楽しみ、何やら「Fleuron」のファクシミリ版が欲しいというのでネットで探して見つけ出し、先ほどの書類を提出しに研究室に行くと、普段全く学校に顔をみせない松井雄一郎らしき声が「やあ」と僕を呼び止め、一瞬の躊躇とともに、こちらに背中を見せているその人物の顔を廻り込んで確認してみるとやはり松井雄一郎で、今日はコンペのプレゼンがあるのだと言い、何やらコピー機を駆使し続けていたが、ひとまず僕は院部屋に戻り、自分の作業を進め、2時間ほどすると川又氏が院部屋にやってきて、「国分寺で飯を食おう」とのことなので、起きてから何も食っていなかったため便乗し、氏の行きつけの広島焼きの店で松井氏と共に会食し、その後隣の古本屋に入ると、「ウィーン世紀末展」と「トレチャコフ美術館展」の図録が激安で売られており、特に後者は見た事のなかった19世紀後半、革命以前のロシア絵画が数々と並べられており、頁を繰るごとにまた目眩を覚えずにいられず、『樹木検索図鑑』と共に購入し、ほくほくしながら3人でお茶をした後、駅で解散し、家に帰って、ようやくオトレの全貌が見え始めてきた作業を再開し、褒めちぎりたい気持ちと、もっとこうしたらよかったんじゃないかという気持ちの重なりの中で、着地点を模索しながら作業をし続けている次第。煙草を吸う人間は、いい休憩時間があってイイナアと思っているここ数日!