『ゲド戦記』と『時をかける少女』の擁護

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いわゆる「オタク」達がアニメを牛耳り、それに迎合して形式的な記号ばかりで描かれるようになったと感じる昨今、あるいは、宮崎駿作品、あるいは大友克洋作品ぐらいしか観ないくせに意気揚々とそれを顕揚する怠惰な「アニメファン」がはびこってしまった昨今、アニメからは遠ざかるばかりだったが、カメレオンの取材で鼎談した佐分利さんの薦めに快く応じ、昨日『ゲド戦記』と『時をかける少女』を立て続けに観てきた。
二つとも夢中で見入り、涙さえ流してしまったのだから、正確な評価をここですることは不可能であるということを前提とすれば、「天才の息子の、親の七光りだけではないのか」といった前者と「貞本義行の絵を借りた、リメイクで一儲けするいつもの悪ふざけではないか」といった後者の、二つの危惧は心地よく裏切られることに相成った。『ゲド戦記』は僕がなんと言うかにかかわらず、確認のために誰もが観るであろうが、『時をかける少女』はだまされたと思って観に行くことを沽券にかけてもお薦めしたい。あのキャラクターを演技させる表現力と、演出力は、ただごとではないし、タイムリープによる同じ場面での反復と差異によって物語をつないでいく巧みさ、時折挿入される携帯のバイブレーターやLED式信号機などの気の利いた現代的モチーフによる演出などは、いつしか私を武装解除させ、感動へと導いた。それは子供だましでも、大人を騙す衒学でも、「萌え」への迎合でもない。心あるアニメ作家は生き続けていたのだ、アニメを観られる時代にいてよかった、と思わせてくれる映画であった。『ゲド戦記』も、親父の築き上げてきたものと、親父のオリジンであるル=グウィンの原作に真摯に向き合い葛藤し、反逆的とも言える強烈な解答を突きつけ、そのことになにやら得体の知れない感動的な動揺を覚える作品である。

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