昨日はトリュフォーの『華氏451』を視た後寝る。
失敗作と彼は言うが、これはこれで愛すべき作品。
ダリの作品集がペロペロとめくれるところと、花がしぼむように綺麗に1ページずつ燃えていく本がgood。
昼に洗濯をした後、日曜日は出かけないと気がすまなくなったようで、うずうずするのでとりあえず論文を鞄に詰めて出かける。
何やら祭をやっている様子の武蔵小金井駅周辺をよそに、中央線に乗って四ッ谷で降り、四ッ谷からアテネ・フランセを経由して神保町まで歩き、文房具屋でファイルを物色した後、喫茶店でGalison「Aufbau/Bauhaus」の抄訳を作り始める。
最近、電車の中や出がけの喫茶店などでゲリラ的に作業をしはじめることに楽しみを覚えはじめてきた。
17時30分から岩波ホールでジャンニ・アメリオ監督『家の鍵』を視る。
久しぶりにいい新作を視た、という感じ。
物語の構造としては、今までワケありで疎遠だった父親と息子が、旅行を通じて心を通わせていくというもので、ヴェンダースの『パリ、テキサス』と共通するものを持つと言えば持つのだが、「『パリ、テキサス』を思わせる」と呟く事が、この映画に対しては果たして讃辞とは成り難い。
「ロード・ムーヴィー」という怪しげなジャンルに当てはめてこの映画を語る事を避けるならば、まず息子役を演じるアンドレア・ロッシの一挙手一投足一発話に魅せられる、ということが第一に挙げられるだろう。
(語弊を怖れず言うならば)健常者と障害を持った人間との関係、といったナイーヴな主題を扱うにもかかわらず、彼の危うげな歩行やユーモアあふれる発言などの振る舞いを、少々“華やか”に、だが、ただ見つめるように撮る事によって、映画は喜劇たりえ、観客が「親子の絆を描いている」と呟くことができる次元に至っている。(比べる事自体が失礼だが『アイ・アム・サム』などとは比べ物にならない程の視点でこの主題を取り扱っていることは言うまでもない)
ノルウェーに向かう船上で、父親が息子の歩行補助器を海に捨てるシーンは、何やら西部劇さえ思わせる逸脱であるし、ラストシーンもただごとではない動きを見せる。
シャーロット・ランプリングに軽く惚れてしまったし。
現代イタリアにこのような監督がおられるとは。
観客には何やら家族連れが多く、上映前には教育映画的な雰囲気が漂っていたが、それを大きく裏切ってくれる良い映画だった。
前の席の家族連れの父親が、帰り際に「あの終わり方は全然分からない」などと言っていたが、映画は一瞬でも輝けば、結末など見せなくてもいいではないか。
映画の後もスタバで閉店までGalisonの抄訳をやり、四ッ谷までずんどこ歩いた後中央線でオストワルト関係の論文を読みながら帰る。
「ブリュッケ」は表現主義のそれとは関係なさそうだ。
つい書きすぎた。
寝るまでにGalison抄訳を終わらせよう。
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