3/16-3/31

帰国前に大物が見つかってしまった資料調査、デジタル上映だったのが非常に悔やまれるオリヴェイラ『アンジェリカの微笑み』とルノワール『河』、企画展は残念だったが初めて入った噂の喫茶室は特別だったジャックマール=アンドレ美術館、20ユーロなのに意外といい席だった Ivo Pogorelich の演奏会、荷物の量が当然のごとく増えていた引越し、濡れ衣を着せられて憤った最終日。気温25度あったパリから帰ってみれば、日本は息が白かった。

3/11-3/15

残り少ない滞在期間にドイツでの資料調査をねじ込む。チューリンゲンにあるエアフルト(Erfurt)という比較的大きな街に泊まり、そこからローカル線で30分前後のゴータ(Gotha)という町の図書館に3日間通う。
ゴータはあまり知られてないが18世紀末から20世紀前半にかけて貴族年鑑と地図の出版で名を馳せた出版・印刷所のあったところである。私にとってはひとつの聖地のような場所であるが、実際の町については全くの未知の場所でもあった。
町の構造は丘の上に簡素な外見だが十分大きな城があり、3段階の洞窟風の水路を見ながら坂を降りるとその麓に旧市街が広がっている。ヨーロッパの町としては珍しく、町の中に川がないのが特徴的だ。資料調査を行った図書館はその城の中にあり、車道や市街地と隔離されているため、窓の外から様々な鳥のさえずりが聞こえてくる。町にはほとんど観光スポットのようなものはないが、城の中には美術館も含め他には無い超・知的なものが詰まっていて、なんとも独特な町である。旧東ドイツということもありエアフルトもゴータもほとんど英語が通じず、知っている数少ないドイツ語の単語と身振り手振りで意思伝達することになった。古本屋も数軒あったが、地元の出版物がほとんどただの中古の本としての値段で売られており、思わず飛びついて買い込んでしまう。多分インターネットの古書サイトにも登録していないのであろう。こういう感覚は最近ない。
歩いていて偶然、件の印刷所の跡に出くわして、私にも本の神様がついているのかもしれないと思わず呟いたが、今は全体的に改装されてしまい、大学所有の文化施設になっているようだ。中がどうなっているかわからないが、図書館に所蔵されているここの印刷物や銅版のコレクションを展示したら、相当な美術館が作れると思う。
どうせドイツに行くのだからということで、その前にマインツのグーテンベルグ博物館に立ち寄りフーツラの展覧会を見て、翌日ライプツィヒの印刷術博物館に「ザンクト・ガーレンのチヒョルト」展を見に行った。どちらも小さな展覧会で、正直言って前者はイマイチだったが(タイポグラフィの展示は難しいだろうが)、両博物館を再訪する価値はあった。いまだ整理できないが、サンセリフの非・普遍性、地域性、時代性、引いては宗教性に近いようなものについて大いに考えさせられる。体が3つあったら追いかけたいところだけれども。

2/23-3/10

プロジェクトの仕上げだけれど調べる対象はどんどん膨れ上がって、面白いけどどこかで切るしかない。地図のことをやっていたのにあらゆる自然科学の分野がそれに絡んできて、関係する学者がいちいちスケールが大きいために、はっきり言って手に負えない。自分の教養の低さを呪う。

さすがに映画のことまで頭が回らないし、どちらにせよ見に行かなければならない作品はほとんどかかっていないのだが、チャールズ・ロートン監督『狩人の夜』、マーロン・ブランド監督『片目のジャック』の2つだけは見に行った。2人の俳優が監督した、それも唯一の監督作品である。
ロートンの方は少し作りが粗いと思うところもあるものの(早撮りらしいが)、恐ろしい話でありながら童話や絵本のように語ってしまう空想的才能、特に子供達が舟で逃避行に出た後の夜のシーンが素晴らしく、川、月、そして動物などの自然のモチーフを使って子供の頃の想像力を思い出させてくれるような画を撮った。不気味なサイコパスを演じさせたら右に出る者はいないロバート・ミッチャムはもちろんのこと、彼女が現れてから圧倒的な安心感を観客に与え、サイコパスとの戦いが喜劇化するリリアン・ギッシュの有無を言わさぬ貫禄ある存在。本当にリリアンおばちゃんに拾われてよかったね……。
ブランドの方は、彼が映っているだけでもはや映画になってしまうのだから判断が難しい。仁義を重んじる粗暴な強盗だが女の前では思いつきの嘘と陳腐な口説き文句しか言えない、青さを持った男という役柄がちょっと無理がある。それに女が出てくると途端に甘ったるい映画になって笑わざるをえない。女の趣味も悪い。しかし遠景になるとえも言われないような美しい画を撮り、馬および馬に乗った人間を撮ることに関しては目を見張るものがある。特に冒頭、銀行を襲った2人が馬を失って砂丘の上に追い詰められ、砂塵吹き荒れる中じわじわと追っ手に追い詰められていくシーンは忘れがたい。もともとペキンパーの脚本をキューブリックが撮ることになりブランドと協働しようとしたものの最終的に決裂、という話は見た後で知ったが、もしキューブリックが撮ることに成功していたら彼に対する評価も、映画史も変わっていたのではないかと思わせる。

2/15-2/22

スイスより友人カップルがパリにやってくる。いつぞやのように通じるかどうかギリギリの拙いフランス語で冗談を言い続ける。彼らと一緒に入ったサントル・ポンピドゥーでは常設展の半分が入れ替わっていて、なんだかロシアじみたものになっていた。その一室にロトチェンコの労働者サロンが再現され、長机の上にマヤコフスキーやリシツキー関連の書物が並べられる。他にもやたらと政治、革命関連の作品に焦点が当てられていて、ファシズム建築家リベラの部屋もあった。各部屋に主題が設けられているがしかし展示全体の一貫性があるかというと疑問である。それ以外ではカンディンスキーの未見の絵が素晴らしく、それからミロとブラックの作品を初めて良いと思えたのは収穫だった。相変わらず展示方法はひどいが作品に罪は無し。特別展のサイ・トゥオンボリーについてはノーコメント。

我が家に招いて寿司を食べた翌日、帰国する彼らに付いて行ってアッペンツェルはヴァルトという村にある家に泊まらせてもらう。標高 1,000 m にある200年前の木造家屋。夜明けから夕暮れまで嘘のように美しい、残雪の丘陵地帯。5日間方々に案内してもらいさんざん世話になったが、幸運かつ奇妙な出会いの連続であった。あまりにも多くのことがあったためここで文章にする気にはなれない。とにかくスイス・アルマンのいいところを存分に見せてもらった。隣人の農家の作るチーズも極上。

2/11-2/14

2日かけてフォンテーヌブロー城、シャンティイ城を再訪。よりにもよって極寒の2日間。翌日には嘘のように暖かくなる。

ル・ノートルは素晴らしいというより狂っている。この規模で庭園を設計しようなどと誰が考えるのか。

シャンティイ城の図書室。小さな部屋だが珠玉の書物史の展示が行われている。これは前回特別展がやっていたため見られなかったものだ。ルリュールの名品が並ぶ。ファクシミリしか展示されていない『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』はしかるべき手続きを踏めば見られるのだろうか。ここの蔵書はもっと古い当主のものだと思っていたが、フランス最後の王ルイ=フィリップの息子、オマール公アンリのものであった。つまり19世紀のものである。

1/29-2/10

冬至がとうに過ぎたにもかかわらず、相変わらず寒くて暗く、根菜ばかりで鬱々とした日々が続く。思わず「春よ来い」と呟くが、それが童謡なのかはっぴいえんどなのかうろうろしているうちにニューミュージックの女性歌手の歌声が思い浮かんで、思考を遮断する。

イタリア系フランス人の友人Bがラザニアを作ってくれる。ベジタリアンなのでマッシュルームと乾燥セップ、それにトマトとチーズで旨味を出していて、肉よりうまいかもしれない。その後は別の友人Bの檸檬のタルトを食べて、別腹も別々腹も満腹になる。それに今まで一番うまい香菜(コリアンダー)を食べた。夏に格別のバジルやトマトを作るいつもの市場のおばさんのもの。イタリア人はあまり食べないらしいがフランス人はよく食べるとのこと。香菜嫌いな嫁は顔を歪めて軽蔑するような眼差しでこちらを見ていた。

2年ヨーロッパにいながらイタリアに行っていないこともあり、俄かにイタリアへの情熱が湧き上がってくる。フランスにいいものはたくさんあるが、やはりその根っこはイタリアにあるから見に行きたくなるのが人情である。しかし旅行をしようにも行きたい所だらけで絞り込めず、やるべきことも終わってないので3月までには行けそうにはない。唯一それを紛らわせるのは遂に訪れたまともなイタリア料理屋との出会いである。ラビオリもニョッキも簡潔かつ美味。そしてやはり珈琲はパリであってもイタリア料理屋のものは飲める。パリのコーヒーは昔は美味しかったというが、現在はある珈琲豆製造業者がパリのカフェへの卸をほとんど独占していて、その珈琲が砂糖を入れないと飲めないほど美味しくないのである。どこで飲んでもまずい。そこの豆を仕入れると機械やら食器やらがもらえるとか、店舗を開くのに補助金が出るとか、いろいろ聞く。真相は知らないが、とにかく競合相手は出てこないのか?まるでマフィアに牛耳られているようだ。

1/26-28

フランスに帰ってくると「生活」が待っていて、思うようには進まない。図書館の使い勝手も違うし、この勢いでいけるんじゃないかという目論見は大きく下方修正されることとなる。
そうするとジョン・ハートが死んだとの報せが目に飛び込んできて、朝から思わず声を上げてしまった。私にとっては『エレファント・マン』でも『エイリアン』でもジム・ジャームッシュの映画でもなくて、チミノの『天国の門』でのアル中に堕ちていくかつてのハーバードの生徒代表、ペキンパーの『バイオレント・サタデー』の復讐鬼、ヒューストンの『華麗なる悪』の超楽観的怪盗役なのだ。シリアスな役よりはコメディアンとして演技をしていた方が生き生きとしていて好きだった。生きている最後のアイドルだった。
フランスの友人から「なぜかわからないがジョン・ル・カレの作品の脚色を初めて見てみようという気になった」というSMSが届いたため、今まで避けていた『裏切りのサーカス』を私も見てみることにした。ジョン・ハートも出ているためだ。最近の映画にしては絵作りに感心させられたものの、演出とシナリオと、あと髪型が全て台無しにしていた。説明的ではない作り方は良かったのだけれど、結局回収されない台詞と画面の細部が多くて、ただ思わせぶりなだけに終わった。友人は途中で放り投げたらしく、「スウェーデンは我々に謝罪するべきだ」と憤る。早々に死んでしまったジョン・ハートも空回りしていたし、ゲイリー・オールドマンはただ滑稽だった。
次の日、ようやく気が向いて成瀬の『山の音』を見に行った。階段と上映室の間に仕切りのない変な映画館で非常口ランプが上映中も煌々とついていたし、デジタル上映だったがそこまで気にならず、これは好きな映画であった。原作は川端康成で話はかなり辛いが、不倫の黙認、男の暴力と中絶、離婚願望と家庭維持との葛藤、不倫相手の妊娠とシングルマザー化など主題はかなり現代的で驚かされる。夫婦あるいは家族というもの確かさが揺さぶられる中で、嫁と舅の他人であるがゆえに深くある愛情を、多くを語らせない中で浮かび上がらせている。西洋的生活(会社やダンスホール)と日本的生活(家庭)を衣装・美術で対比させ、そのどちらにも対照的な女を配置したのもよく効いている。見ながらサタジット・レイの映画を思い出し、サリーと洋服で伝統的家庭と西洋化された資本主義的経済活動との葛藤を描いたインド映画に対し、日本人は和服からだぶだぶな背広を着て会社に向かい、いつしか洋服にも会社というものにも何も疑問を感じなくなるほど自ら進んで西洋化していき、当たり前にスーツを着て働いているのが非常に奇妙に映る。おそらく西洋人にはもっと奇妙に映るだろう。この国で見るとそういうことが嫌でも気になってしまう。
最後のヴィスタがどうのこうのという台詞のところで無意識に別のことを考えていて、思わずセリフを聞き逃してしまった。大事なセリフだったように思えるので非常に残念である。
夜は中華街に食事に行ったが、太陰暦の新年のため、獅子舞や龍舞の集団がタイ料理店の前でお祝いをしていたのに出くわす。中国かどこかから呼んでいるのだろうか、それともパリの中華街の有志で結成されているのだろうか。数十分やっていたが、最後は極太の爆竹を鳴らしてようやく終わった。皆嬉しそうで、普段見ない顔を見るのは良いものだった。

1/11-1/25 ロンドン

正月の風邪がぶり返し、一週間近く引きこもる。しかしロンドンに行く前日にはちゃっかり治る。久方ぶりに外に出てみると-4度近くで、それから北に行くことに戦々恐々としたがロンドンはパリよりも若干暖かかった。
約一週間、ケンジントンにある宿から大英図書館への往復。唯一日曜日だけ大英博物館を見る。モリスもターナーも無し(モリスは図書館の展示で1品見たが)。果たして人生のためにはどちらが良いのか。終盤、地理学協会のアーカイブを使わせてもらうために滞在を伸ばそうかと思ったが帰りの切符を取り直すと恐ろしく高くなるし、協会のアーカイブも有料なため断念。地方への鉄道旅行やアイルランド・スコットランドへの旅情も募るがとりあえず帰ることにする。
この国の印象について何度書き直してもうまく書けないので軽く書くにとどめるが、自戒として、英語という言葉を一島国の言語(だったもの)としてきちんと認識しなおす必要があると感じた。当然ながら英語は単に共通語として話されるニュートラルな言語ではない(そんなものは存在しない)。それには特殊な言語的特性があり、言語的歴史から、ひいてはそれの作り出す思考と文化、それを使うことの政治まで含まれる。学校での英語教育と英会話プロパガンダのおかげであまりにも当たり前に英語を学んできたが(その教え方はかなり漂白されていたような気がする)、それは単に一地方の方言だったものであり、他の言語と比べればかなり特殊で、グロテスクなものである。そして、英語で書かれた文書は英語圏の国の人が書いたものだ(必ずしもそうではないが)ということをきちんと認識して批判し、英語を「共通語」として使うこと/使わされていることへの警戒感をしっかりと持つことが必要である。はっきり言って英語を学ぶことを拒否することも選択だろう。英語が話せるからといって英国を簡単に理解できるわけではないし、逆に英語圏の人が他国にずかずか入っていけるという幻想を抱くのも御免被る(そう実感すること多々)。
それから、以前から抱いていた英国に対する疑問が確信に近いものに変わり、美術、デザイン史に関してもちょっと一から見直したほうがいいと思い始めた。これは言語の問題とも関係するが、例えばモリスの本ひとつとってみても、それを東洋人が判断するのはそう簡単な話ではない。想像以上に多くのことを学ばないと難しい。産業革命と資本主義に対する反作用としての中世復興・職人主義と言うと何かわかった気になるが、しかしモリスは英国人である。単にブツだけを見て綺麗だのなんだの言うのは簡単だが、それを容易に受け入れてはならない。
最後の夜、書体制作会社のM社に入ってバリバリやっている後輩のO君と彼の卒業以来数年ぶりに会う。最近移転したという事務所を案内してもらい、貴重なタイポグラフィーの資料や彼の使っているGlyphsという数年前発表された書体制作ソフト、それに変態的な自作のルービックキューブまで紹介してもらう。その後近所のパブに連れて行ってもらってお互いの近況を話しながら楽しく飲んだ。パリとロンドン、近いが遠い。また来たいがパスポートコントロールが異常に意地悪で億劫になる。

12/11-1/10

粛々と作業。どうせ退屈なフランスの年末年始をいかに何事もなく無心でやり過ごすかを考えていたら、風邪を引いて寝正月になった。といっても所変われば風邪も変わるのか、喉が腫れて鼻水が出るので蜂蜜檸檬を作って飲んでいたら大して熱も咳も出ず回復。単に氷点下前後の寒さと空気の汚さが問題だったのだろうか。風邪と言うのも気がひける。しかし妻には伝染った。この国はハーブを元にしたフィトテラピー(植物療法)の薬が充実しており、冬用のエッセンスを友人Bに勧められる。ラベンダー、燕麦、ユーカリ、トウバナ、桂皮なんかが入っていて、冬の初めに気温が下がった頃に続けて飲むらしい。いつもタイムはじゃがいもと合うとか、生のセージやローズマリーを少しだけお湯に入れてお茶として飲むとか、ジャムを作るときにも果物だけじゃなくて少しのハーブを入れるとか、最初聞くと少し驚くが実際食べたり飲んだりしてみると単純な美味しさがある。パスタやピザに入れるぐらいしか使い道を知らない日本人にとっては毎度目から鱗である。いや日本だってハーブは紫蘇だけじゃないし、本草学や漢方のことを考えてみれば大いに発展した思想があるのだが、「ハーブ」というそれそのものが西洋的な概念として考えてみると、やはりこの国の考えは発展している。インドの香辛料と同じで、その国には理由のある植物の使い方があり、拡散される「レシピ」などというものとは全く別の次元の、土地特有の思想がある。さらには我々の体はかなり深くその土地と深く関わっており、そんなにすぐには新しい土地に適応されない。いつから我々は他国の文化を容易に理解できるなどという誇大妄想を持ちうるようになったのか。翻って見れば、外国人がそう簡単に寿司や日本料理のことを理解できるとは到底思えないではないか。この手の誇大妄想が世界に蔓延していることは、ここに来る世界の芸術家の話を聞いているとすぐにわかる。いやまあ日本人が自分たちのために作ったカレーを食おうが、フィンランド人がタンゴを国民的な文化としようが、誰もそれを「本物」だと勘違いしないかぎり問題はないのだが。

ビブリオテークの帰りにシネマテークに寄るという習慣が律動として悪くなく、単に橋を一つ渡るだけなので、周辺がいかに酷い景色だろうが、私的には楽園である。しかし上映技師がありえないほど酷く、以前書いたように上映するべき短編映画を飛ばして上映して全く気づかないわ、サタジット・レイの静謐な映画の最中に上映室でおしゃべりするわ、35mm上映で天井に上映の光が引っかかるほど上下左右をはみ出して上映するわ、とにかく職業倫理として理解不能。単に作品に対する侮辱でしかない。しかし私もいつも真ん中に座ってしまうので、人を押しのけて文句を言いに行くのも憚られ、誰か代わりに行ってくれと祈るものの観客もどうかしてるのか誰も言いに行く気配はない。ここは日本人らしく暗殺して帰国するのも悪くないが、思い直して文明人として呪いを込めた抗議文を送付することにする。私がタランティーノだったら世界の映画館の酷い上映技師を抹殺する脚本でも書くだろう。再び登場の友人Bに話したら、トロカデロのシャイヨー宮からこのフランク・ゲーリーの惨憺たる建物に移ってから運営も観客も全く変わってしまい、昔いた真のシネフィルたちはもういなくなってしまったと嘆いていた。B級映画のスタッフロール15番目の端役の名前を覚えている人や、映画を巡って喧嘩をしたり上映室に飛んで行って上映技師を引き摺り下ろす人もいなくなってしまったと。話を聞くと昔のシネフィルの凄さは本当に特別だが、とりあえず観客の質はいいから真っ当な上映だけはしてほしい。これが現代フランスの映画人のレベルだと思われていいのか?安売りスーパーの店員と同じレベルだぞ。

それでもちゃんと上映された映画には打ちのめされるばかり。現代フランス(パリ)にいくら幻滅させられようとも、ルノワールとデュヴィヴィエを見れば20世紀前半のフランスの芸術性、教養、人間性、そしてユーモアがいかに高いレベルにあったかを見せつけられる。これを見れば開きかけた批判の口も閉じるしかない。それにしてもフォードの遺作は私を殺し、2日に渡って生き返ることはできなかった。悲劇は日本の特産品だと思われているが、『楢山節考』なんかより全然きつい。私にもその辺のグラスで酒をグイッと飲んで投げ割る勇気が欲しい。

サタジット・レイ
・『Grande Ville(大都会/ビッグ・シティ)』
・『La Maison et le monde(家と世界)』
・『Charulata(チャルラータ)』
ロバート・アルドリッチ
・『El Perdido(ガン・ファイター)』
・『Faut-il tuer Sister George?(甘い抱擁)』
・『Le démon des femmes(女の香り)』
・『Qu’est-il arrivé à Baby Jane?(ジェーンに何が起ったか)』
ジョン・フォード『Frontière chinoise(荒野の女たち)』
ジャン・ルノワール『Tire-au-flanc(のらくら兵)』
フランク・キャプラ
・『La grande muraille(風雲のチャイナ)』
・『La blonde platinum(プラチナ・ブロンド)』
・『Amour défendu / Forbidden』
ジュリアン・デュヴィヴィエ『Un carnet de bal(舞踏会の手帖)』
フェデリコ・フェリーニ『Ginger et Fred(ジンジャーとフレッド)』

11/18-12/10

久しぶりに辞書片手に(実際はスマホ片手に)英語の文献に取り組む。書き物はやっぱり鉛筆と紙がやりやすい。幼少期、若干狂った私塾の先生の薦めにより三菱鉛筆の Hi-Uni でしか勉強してこなかった私はステッドラーじゃ全くしっくりこないのだけれど、この国にはそれしかないので甘んずるほかなし。それから来年度の計画の下準備もしなくてはならず、相変わらずこういうことを段取り良くやるのが苦手だとつくづく思いながら、ウンウン頭を捻って言葉を絞り出す。しかし思いついた主題は今までにないぐらい楽しいので(というか海外まで来てやりたくないことをやりたくないし)、国立図書館に通ってやや暴走気味に調査に耽る。その後、某図書館のコレクション担当者の方々と海外で初の形式的「打ち合わせ」。なんとか仏語で切り抜けられたが、計画を絞り込むつもりが逆に爆発するはめに。アリババの洞窟の呪文はわかったが、中が巨大すぎて何を選んだらいいかわからず。やり取りを続けながら明確にすることに。しかしこの国の図書館員の方々はあくまで教養高く、各コレクションとその裏側にある歴史についても精通していて、こちらが何か名前を出すとかならず返事が返ってきて、頭が下がる。
合間に友人の展示3本。ゼメキス『Alliés』は予想通りの大惨事だったが、顔面の全然動かないBPを横にするとあのMCさえまだ人間に見えるという成果が得られた。あらゆる点でシラけきったが、BPに(明らかな吹き替えで)フランス語を話させて、その訛りをMCが「ケベック人さん」と揶揄する(ケベックではフランス語由来のケベック語を話す)、というのが重要な台詞になっているのだが、これがまたフランスで見ると一層シラける。それを見たことを友人Bに伝えると「お前はなんてマゾヒストなんだ」と言われる。
大気汚染により4日間公共交通が無料に。「薪暖房のせい」とか書かれているが、パリではそもそも禁止だし、そんなもののせいじゃないことは誰の目にも明らか。セーヌ河畔の車道の歩道化とか、古い車の入市規制、ナンバーの偶数奇数で入市規制とか、表層的なエコ政策のおかげで実態はより悪くなっている。体感的にはオリンピック直前の北京より酷く、昼間でも100m先は真っ黄色。最近導入されたハイブリッド型のバスのデザインも酷くて、安い便座カバーを貼ったトイレみたいな座席、すれ違えないほど狭い通路、収容所に送られる列車のように鮨詰めにされる立ちスペース、そしてひどいサスペンション。もともとのバスも酷いけれど(特にメルセデスとMAN)、もう呆れて半笑いになるほど。何がCOP21だ。

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