所感

駅前の広場に人がたかっていて、みんなうつむき気味にスマホを凝視しながら指で連打していて、これはひょっとして、ポ、ポケモ…。

おもしろきこともなき世をおもしろく

フランス人がHTML手打ちで作り上げたブリコラージュ丸出しのサイトの改修を相談されたんだが、HTMLファイルが200個以上もあるサーバの中身を見ながら、世の中みんな WordPress 化してしまって(まあこのブログもそうなのだが)面白いサイトが減ったことに気づかされる。テンプレで生産効率上げるために、内容をフォームに押し込めることばかり考えてしまうものなあ。自分が最初に作ったサイトのトップページは「Enter」も何もない、顔の絵のイメージマップだった。確か目をクリックすると入れるんだったな…。いやあ、あの頃の方がホームページを見るのも作るのも楽しかったよ。あの血肉がある感じ、たまんないね。「昨日ホームページ作ったんだけど見てよ」「新しいページ作ったんだけど帰ったら見てみて。ムフフ」とかいう会話が絶滅したもんな。「しょうがねえなあ」って苦笑しながら読んだりして。「ユーザビリティ」なんて言葉、吐き気がするほど嫌いだった。どこかの誰かが突然やってきて「ホームページかくあるべき」なんて官僚的で教育的な価値観を押しつけてきた。そんなの「思いやり」で片付けられるようなものだし、わかりやすさなんて数ある選択肢の一つでしかない。人間、多少使いづらかろうがいずれわかるし、面白い方がいいでしょ。わざわざそんなこと言わなければいけないほどわかりづらいサイトが多かったのは確かだけど(特に役所のホームページとかね!)価値観はそれだけじゃない。情報なんて糞食らえだ。情報デザインなんてもっと糞食らえだ。

世の中に必要なのは Javascript じゃなくてイメージマップだよ!Wordpress じゃなくて IBM ホームページビルダーだよ!たぶん。

4/6

春だ!

暑い!

明るい!

慣れない!

第4回

『アイデア』誌連載第4回、普段より4ページ増量でやっています。前回と合わせてフンボルト編後編とも言える内容ですが、国境を超えた地球全体にわたる自然現象の分布とその連関を主題とし、その中で生活する生物たちの生態にまで言及した「自然アトラス」の話です。4年前にこれを見た時に衝撃を受け、右も左も分からない中でとにかく地図を見まくってきましたが、何とか形になりました。これを知らずに我々はダイアグラムだの何だの言ってきたことを大いに恥じ入ります。地図の上でのモダニズムは19世紀初頭から既に始まっていた!

アトラス考─生態学的世界観の視覚化:第4回
「ハインリヒ・ベルグハウスの『自然アトラス』─地球の物理的記述と視覚言語の冒険」

スイス

原稿終わりのタイミングでスイスの友人Cの家へ。
途中乗り換えでチューリヒで降りたため、3時間の間に急いで見られるものを見る。中央図書館の展示室ではヨハネス・イッテンの展示。イッテンについては日本の国立近美の展示を見た以上に掘り下げて調べたことはなかったしそれも10年以上前のことで忘却の彼方だった。ここでは小さい展示ながらも彼の青年期からの色彩・構成の実験や彼が使った教科書の実物を見ることができる。女性に宛てた手紙の中でゴリゴリに装飾的なカリグラフィーをやっていて、こんなのもらったら戸惑うこと間違いなしである。また後半部からは彼が神秘主義的傾向にのめりこんでグロピウスと決裂し(シュタイナーの人智学にも満足しなかったそうだ)、この地に開いたテキスタイル学校やチューリヒ美術大学の教官時代の資料に焦点が当てられている。一昨年訪れた非ヨーロッパ芸術の宝庫リートベルグ美術館の初代ディレクターであったことは全く知らず、その創設にも関わっていたことは白眉であった。後でカタログを読んだ友人も、自分が学んだ美大のカリキュラムの基礎を作ったのはイッテンだったことを知り、自らの地域にとって重要な人物だったということを噛み締めていた。機能主義ブームが完全に去った現在において今イッテンを思想面を含めて見直す時に来ているのかもしれない(昨年が没後50年に当たり、今年は生誕130年でもある)。図書館を出た後はチューリヒ大学の自然史・古生物学博物館で恐竜の化石に見入った。これでは年中恐竜博ではないか。しかもこれら2つの展示は無料で見られてしまったし、イッテンの図録というか小冊子もタダでもらえてしまった。物価が高いので非常にありがたい。
Wald に住む友人Cは我々をサンティス山やアッペンツェルの地域博物館に連れて行ってくれたり、ザンクト・ガーレンでの図書館での調査を手配してくれた。非常に時間は限られていたがチヒョルトのアーカイブを再訪できたし(友人は彼の往復書簡を読みながらその辛辣というか皮肉というか攻撃的な書きっぷりに爆笑していた)、そのまた友人に頼んで美術図書館・造形素材アーカイブ・美術工場の複合施設を案内してくれたりした。いつも帰り際にまた来なくてはいけないという理由ができてしまう。むしろこれだけ手配してくれたのにすぐ帰ってしまって申し訳ないぐらいだ。じっくりと滞在できたらと思うのだが現実的にはしばらく厳しそうだ。しかし彼らには客人を神のようにもてなすべしという教えがあるらしく、油断するとすぐに高い食費や入場料などを払ってくれてしまったりするので、あまり厄介になるのも気が引ける。日本に来たらどこに連れて行くべきか今から考えあぐねている。
スイスでは日本車についての賛辞を聞くことが多い。車に乗っているとメルセデスやフォードに混じってスバルが走っている。トヨタも多いがそれよりもスバルが多い印象である。山道でも壊れずよく走ると評判だそうだ。決して日本ではシェアが高くないスバルがメルセデスらと競って走っているのを見るとなんとも誇らしいやらむず痒いやら複雑な気持ちだ。

無題

D’accord!

(「脱稿」とかけたフランスで今流行のダジャレ)

ムードン

1月初頭、友人M夫妻とパリ近郊のムードンを一日歩く機会があった。既にジャン・プルーヴェの工業化住宅のプロトタイプと、ジャン・アルプとその妻ゾフィー・トイバーの住宅兼アトリエを訪ねたことがあったが、今回は幸運にもデ・スティルのテオ・ファン・ドゥースブルフと妻ネリーのアトリエ兼住居の訪問ができた。正確に言えばその辺りはムードンとクラマールの境に当たるところで、テオが妻とパリに移住した後、さらに移転してきたところである。彼らの移住はストラスブールの「オーベット」で協働するアルプ=トイバー夫妻が引っ越してくるきっかけともなった。テオはやがてこの家を設計するが竣工前に死んでしまい、彼の彫刻を置くはずだった白無垢のソックルは前庭にそのまま残された。ドゥースブルフの作品は好きだがどちらかといえば理論家だと思っていたし、通りから見える正面ファサードも青赤黄の3つの扉が作り出すリズムと、そのうちの一つである青い扉が日本式の2階に宙に浮いているように見えて何か謎かけのように感じる以外は単なる白い箱に見えて無愛想に感じていた。しかし入ってみれば印象は大きく変わった。簡潔に言えば頭でっかちではなく「よくできている」のだ。アトリエ、居間、パーティールームを兼ねた主要居室は2階分の高さを持ち、劇場ともなるよう階段とコンクリート造りの机(舞台)が設けられている。壁は藁を圧縮して束ねた当時の新素材でできており、換気が必要になるために方々に穴が開けられている。階段の薄さも伴って若干不安になるほどの脆弱さを感じるが、今まで保っているのだから実験としては十分である。アトリエ=劇場=居室に入るまで通ってきた回廊は、両側の壁を押せば扉のように回転し、アトリエに入る入口を塞げば空間が閉じてそこが副室に変わる。作り付けというかコンクリート打ち付けのサイドテーブル、壁と床が接する角の部分の面取り、要素主義的構成の天窓のステンドグラスなど細部のこだわりを見るのも楽しいが、その片隅にある冗談のように小さい暖炉は使われた形跡がなく、真意は謎だという。1階のキッチンに降りると今まで2階にいたのが嘘のように感じ、それは2階があたかも1階のようであり、1階があたかも地下のようであるからだが、しかしそこは確かに1階で庭と直結しており、キッチンの窓を開ければ内外の空間が一体化し、まるでカウンターキッチンのように庭ないし2階の下のピロティ空間と物の出し入れや会話が可能になっている。要するに外で食事をしたり寛ぎながらキッチンとやりとりができるようになっているのである。やはり理論家では片付けきれない人だと確認させられた。家具や空間に複数の機能を与えることを楽しみ、それが押し付けがましいアイデアの展覧会になることなく、単調な無機能空間になることもなく、また単なる実用性と経済性に堕することもない軽快な遊戯的建築となっている点でバウハウスやコルビュジエの建築と一線を画している。ちなみに今はオランダのアーティスト・イン・レジデンスになっており、財団から美術関係者が送り込まれてくるようになっているらしい。案内してくれたおばさんも元レジデントだった模様。しかし「私はオランダ人だけどもう長いことパリジェンヌ」と言った時のフランス人達の殺気を見逃すことはできなかった。語義的に言えばパリに住んでいればパリジェンヌだが、20年住んだぐらいで京都人と言い張るようなものである。
ここは坂の中腹にあるが駅の辺りは谷になっていて、ずっと上り坂になっており、さらに登ってアルプの家を超えて行けば森があり(その手前にある現代建築群がなかなかぶっとんでいるのだが)、天文台や採石場跡などもあって美しくも興味深い地形を持った場所である。坂の上から町全体を見下ろすように建っているまるでシャトーのようなサン=フィリップ孤児院も美しかった。
ところで「ドゥースブルフ」っていう表記はこれでいいのだろうか。「ドゥーシュベリ」「ドゥーシュベーリヒ」に聞こえたりするのだけど地域差があるのか?

2018年2月1日

次回の連載の初稿を書き終わったのでサミュエル・フラーの『ストリート・オブ・ノー・リターン』を見に行った。最晩年にフランス=ポルトガル資本で撮られたとのことだが、始まってみればフランス語吹き替えだった…。告知には何も書いてなかったけどフランス語版オリジナルというのが存在するのか?そのせいもあるだろうがもうほとんどファスビンダー映画みたいなブリコラージュぶりで笑ってしまう。しかし暗闇で煙草の煙をくゆらせたり、時折ものすごいアングルから撮ったり、キメるところはやはりキメる。あの濡れ場の後に鏡に囲まれた部屋でほとんど何が起きているのかわからないぐらいぐるぐるカメラが回り、女が非常に醜くパンツを履いて見せるところは一体何だったんだ…。霧の中立ち尽くす絶望の淵にあるロックスターの男(誰かに似ていると思っていたのだが往時の清水◯キラか…)の前にTバッグ一丁の女が馬に乗って現れ、その馬が音楽に合わせたようにステップを踏むところではもう唖然とするしかなかった。『最前線物語』と同じ監督とは思えない。
ところで全く告知されてなかったが上映前に監督の娘が出てきて挨拶していた。全然知らなかったので「お父さん」って誰だよまさかサミュエルって名前じゃないよなと思って聞いていたが、どうやらそうらしい。会場には撮影に関わった人がちらほら来ていたようで、たまにこういう同窓会みたいなのに出くわす。何というか強烈なキャラの娘だったな…。